鎌倉歴史文化交流館『北条氏展』に行きました
今年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、久々にハマっています。
テレビの前で正座して毎週日曜夜8時の放送を待つの、子供時代以来のことです。
取り憑かれた理由は、三谷脚本の構成と役者さんの実力なのだと思っていますが、ドラマをもっと楽しむためにも鎌倉時代のことを知りたくなるものです。
今回は、鎌倉歴史文化交流館にて開催中の企画展『北条氏展』に出かけることにしました。
『北条氏展』、本当は2館で完結する展示
実は『北条氏展』、鎌倉歴史文化交流館だけでなく、鶴岡八幡宮境内の鎌倉国宝館でも行われています。
展覧会チラシ画像を見ると確かに、上方に鎌倉国宝館、下方に鎌倉歴史文化交流館の会期が記載されています。
え!?
同じ名前の企画展を別々の展示施設でやっているの?
▶️鎌倉歴史文化交流館では次のように説明されています。
鎌倉国宝館と鎌倉歴史文化交流館では、令和4年(2022年)4月から12月まで、北条氏に関わる展覧会を、同一のテーマで開催しています。2館をまわっていただくことで、一つの展覧会が完成いたします。
鎌倉歴史文化交流館公式サイトhttps://www.city.kamakura.kanagawa.jp/rekibun/hojo3.html
さらに同じく鶴岡八幡宮境内(鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム)では鎌倉殿の13人 大河ドラマ館も開館中。
鎌倉歴史文化交流館・鎌倉国宝館・大河ドラマ館の位置関係は地図の通りです。
鎌倉歴史文化交流館のみ、鎌倉駅を挟んで鶴岡八幡宮と反対方面に位置します。
3館全てを見学される方は、余裕を持ってスケジュールを組むのがおすすめです👍
(追記)鎌倉国宝館の『北条氏展』の方、後日行きました!
鎌倉歴史文化交流館とは
主に歴史系・考古系の博物館です。
常設展では古代から近現代に至る鎌倉の歴史を展示しています。
併せて今回の『北条氏展』のような企画展開催や、講座・ワークショップなど各種イベントの開催もあります。
建物が立派!
mezzoも今回初めてお邪魔しましたが、建物が立派なのが印象的でした。
公式サイトの写真でエントランスを確認します。
世界的に著名な建築家ノーマン・フォスター氏の設計事務所(フォスター+パートナーズ)が手がけた個人住宅をリノベーションした博物館。
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/rekibun/koryukan.html
公式サイトによると、元々は個人住宅として建てられたものだとわかります。
住宅というか立派なお屋敷という感じを受けて、思わずため息。
mezzo撮影の写真もアップします。
石材の使い方がなんとも贅沢です。
中庭には山が迫り、鎌倉の随所に造られた「やぐら」が残っています(写真奥)。
展示を見て
展示内容:大河ドラマの理解が深まる
訪問時の『北条氏展』は第三期(vol.3)でした。
鎌倉歴史文化交流館・鎌倉国宝館ともに2022年4月から同12月まで『北条氏展』を続けますが、時々展示替えを行っています。
vol.3の副題は「北条義時とその時代ー武家政権確立への道ー」。
展示のキーワードをmezzoのメモから書き出しておきます🔽
【展示キーワード】(mezzo作成) ・牧氏事件 ・実朝と和歌 ・実朝暗殺 ・政子の治世 ・承久の乱 ・高野山での実朝の供養
▶️最新の『鎌倉殿の13人』が第35回(9月11日放送)で畠山重忠が時政とりくの愛息、政追い詰められるところでした。
畠山の乱の後、牧の方(役名は「りく」)が平賀朝雅を鎌倉殿に擁立しようとして失敗、北条時政失脚に結びつく「牧氏事件」と進みます。
今後の大河ドラマの展開を予習するには、もってこいの展示でした
展示構成:注目は『承久記絵巻』 『吾妻鏡』と他の史料を比較解説
展示構成は、基本的には時系列通りに流れていくのでわかりやすく感じました。
vol.3の注目は承久の乱を描いた絵巻物『承久記絵巻』で、鎌倉国宝館に第1巻、鎌倉歴史文化交流館に第5巻が展示されます。
それ以外の箇所では、史料同士の比較が語られていたのが面白かったです。
『吾妻鏡』の展示が多かったですが、たとえば実朝暗殺のとき北条義時はどこにいたか、『愚管抄』と記述の比較が示されていました。
🔼 『吾妻鏡』は当館所蔵の江戸時代の刊本が展示されていました。一部の展示品は撮影OKだったためパシャリ。
冒頭に近いところに展示されていました。
元久二年閏七月十九日条、牧氏事件の顛末を伝える箇所です。
もっと知りたいこと:鎌倉人にとって4代目は政子?
ここからは展示を見たmezzoが「ここをもっと知りたい」と感じたことを書き記します。
よかったらお付き合いください🙇
展示室向かって右奥手、『承久記絵巻』の後に「尼将軍北条政子」と題されたコーナーがあります。
解説には概ね次のようなことが書かれていました。
写真を撮ることが許されていないので、mezzoの記憶を頼りに書き起こしてみます💦
「尼将軍北条政子」コーナーの解説内容(部分) 源実朝暗殺後、次代の将軍として九条家の三寅を京より鎌倉に迎えるが、幼いため実際の政務を行うことはできない。そのため政子が「簾中(れんちゅう)にて理非を聴断」することになった。 現代の教科書では鎌倉幕府の歴代征夷大将軍を3代が源実朝、4代が三寅(九条頼経)と記載するが、鎌倉時代の人々は4代を政子、5代を頼経と認識していた。 政子を4代と判断する根拠は次の2点である。 ①政子政権期に発給された文書は、御家人たちに「二位殿御下文」と呼ばれ、政子が発給主体であると考えられた。 ②『御成敗式目』第七条に、「三代の将軍ならびに二位殿の時に与えられた所領は訴訟があっても改められない」とあることから、源氏将軍3代のものと同様に政子政権期の決定も鎌倉幕府の訴訟での先例とされたと考えられる。
教科書では政子のことを簡単に「尼将軍」と記載しているけれど、ちゃんと根拠があったんだね!
現代の学校教育の説明と鎌倉時代の人の認識もはっきり違うね。
感心した!
▶️だからこそ、この解説に対応する展示コーナーに、「政子を4代と判断する根拠」を展示してもらうと一層わかりやすくなります。
①ならば、「二位殿御下文」に分類される具体的な文書。
原本や模写が難しければ、刊本でも良いでしょう。
政子が御家人への文書の発給主体になっていたということが伝わる史料を知ることができれば、と思います。
②は、『御成敗式目』の該当箇所を見たいところです。
具体的な訴訟記録で『御成敗式目』第七条が根拠のものがあれば、より説得力が増しますね。
実際の展示品は次の2点でした。
・青磁のお椀:東御所(政子の住居)から出土
・『貞観政要』:唐代の「帝王学」の書。
政子も読んで政務の参考にしたとのこと。
①②、自分で調べられないの?
▶️鎌倉時代には疎いのですが、やればできるようになるのかな。
もし自分が展示を考えるならば、と仮定して構成をするのも面白いかもしれません。
まとめ
鎌倉歴史文化交流館の企画展『北条氏展』、展示スペースは展示室1部屋分とこぢんまりした印象でした。
その印象をいい意味で裏切られ、たくさんの気づきをお土産に充実した時間を過ごすことができました。
建物も本当に素敵だったので、またゆっくり訪れるチャンスを楽しみにしています☺️
追記:vol.4に行きました
鎌倉歴史文化交流館の北条氏展vol.4にも行くことができました!
訪問記事を書いています🔽
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