【本】池澤夏樹『また会う日まで』|海軍軍人・天文学者・キリスト者、秋吉利雄の3つの顔と日本近代史・太平洋戦争

読書

mezzoです、こんにちは。

池澤夏樹さんの小説『また会う日まで』をご紹介します。

朝日新聞に2020年8月から2022年1月まで連載された長編、2023年3月に単行本が刊行されました。

主人公は池澤さんの大叔父、秋吉利雄

日本海軍軍人天文学者、そしてキリスト者3つの顔を持つ人物でした。

明治から太平洋戦争の激動の時代、彼の3つの顔のせめぎ合いを描く迫力に、mezzoは惹きつけられました。

日本近代史・太平洋戦争の歴史を知りたい方、海軍や艦船がお好きな方、キリスト教に関心のある方、いく通りもの味わい方のある作品です。

総ページ数700ページを超える大部ですが大丈夫。

夢中でメモを取りながら読み進めたら、mezzoはあっという間に読了していました。

池澤夏樹『また会う日まで』はこんな本

あらすじ

昭和22年3月、死の床にある秋吉利雄の回想として物語は始まります。

明治期の福岡に生まれた秋吉利雄は、親の代からの熱心な聖公会信徒の一家で育ちます。

北海道開拓生活を経て長崎に移り、鎮西学院中学(旧制)を苦学の末首席で卒業します。

名門・海軍兵学校卒業後しばらくの艦隊勤務を経て、海図・航海暦編纂を掌る水路部に移籍。

海軍大学校・東京帝国大学で研究を重ねる天文学者としてのキャリアを歩みます。

最愛のいとこチヨ、続いてアメリカ留学帰りの自立した女性ヨ子(よね)という信心深い才女との家庭生活も充実、長年日曜学校の教師を務めるなどキリスト教の信仰も深めていきます。

軍人、天文学者、そしてキリスト者。

秋吉利雄の併せ持つ3つの顔はしかし、太平洋戦争の時代を迎えるにつれ互いに相剋し合うことになります。

海軍軍人の職務への使命感そして罪悪感、天文学への誇り、家族・親友への想い。

戦争が終わり、秋吉利雄の心はどこへ向かうのでしょうか。



秋吉利雄ってどんな人?

秋吉利雄は、軍人としては一風変わった人物です。

海軍兵学校42期、最終階級少将、大正期から敗戦までの激動の時代に海軍に身を置いていました。

しかし、彼の職業人生の大半を過ごしたのは築地の水路部という組織でした。

実戦経験はゼロ。

体も弱く、肺を病んでは何度か仕事を休んでいます。

やっぱり秋吉利雄、武人というよりも根っからの学究肌の印象です。

人生最良の日は、昭和9年(1934)南洋委任統治区域ローソップ島での皆既日食観察隊を率いた折のこと。

海軍・東京帝国大学・東京天文台(現国立天文台)らの研究者混成チームでの日食観測は大成功に終わったのち、やはりクリスチャンの島民から捧げられた別れの歌こそが、讃美歌「神と共にいまして」だったのです。

本書タイトルの「また会う日まで」はこの讃美歌の一節です。

帰途につく秋吉利雄は、天文学と、キリスト教信仰の普遍さにしみじみ心を打たれるのでした。

海軍軍人・天文学者・キリスト者。

ローソップ島での秋吉利雄にとって、3つの顔は混じり合い高め合う、全て不可欠なものでした。

海軍兵学校受験を志したとき、信仰の師に当たる牛島惣太郎先生からモーゼの十戒を引用して釘を刺されています。

海軍軍人は、人を殺さなければならなくなるかもしれない、と。

同じ3つの顔は、戦時には一転して秋吉利雄の中でせめぎ合うことになります。

太平洋戦争中、前年に17歳で亡くなった養子文彦を思いながら独白する場面を引用します。

自分が軍人でありながら私は軍服を着た文彦を想像したくない。あんなに心優しい子に捧げ銃(つつ)や担え銃は似合わない。まして戦場で敵にその銃を向けるとは。

(中略)

文彦はそんな進路は選ばなかった。しかし文彦と同年でたった今も太平洋の各地で戦っている兵は多い。アメリカの側にも同じように若い兵がいるのではないか。彼ら全員の平穏な帰国を主イエスに希う。全ての銃弾・砲弾が目標から逸れることを願う。

わたしは自分が分裂していると感じている。私はヨ子の夫にして五人の子供たちの父であり、聖公会の信徒であり、軍人である。

わたしは苦しい。なぜ牧者になる道、あるいは聖書の研究者になる道を選ばなかったのか。

『また会う日まで』495頁より

海軍軍人・天文学者・キリスト者。

本書の中での秋吉利雄は3つの顔全てに真摯で、だからこそ深く苦しむ人間として描かれています。

こんな人におすすめ

ジャンル歴史小説
対象者中学生以上、一般
テーマ日本近代史、日本海軍、太平洋戦争、天文学、測量術、キリスト教、
聖公会、女性史
こんな人におすすめ読み応えのある歴史小説を読みたい
日本海軍・艦船が好き
日本でのキリスト教の歴史が知りたい

近代日本で活躍する女性について知りたい

池澤さんもおっしゃる通り、本書は調査が十分に行われた小説です。

秋吉利雄の息子輝雄が残した、利雄に関する資料が執筆のベースです。

それに利雄の子供の家族たちの全面的な調査協力により、本書の叙述に厚みを与えています。

巻末には、全6ページの参考文献リストの掲載もあります。

調査が行き届いているので、「逆にどこからが創作なのかしら」「ここに創作を入れたのは何故なのかしら」と、想像を巡らせながら読み進めるのがまた楽しいものです。

全700頁超えの大部ですが、海軍・キリスト教・女性史など関心のあるテーマがあれば、中学生でも楽しんで読み通せるとmezzoは見ています。

親友Mと、村上先生_今を「歴史」として見る

メゾさん
メゾさん

太平洋戦争の歴史でしょう?

あんまり知らない人には難しいかなあ…

▶️大丈夫です。

秋吉利雄の友人3人組のMが、心強い手助けをしてくれます。

秋吉利雄と海軍兵学校の同期、艦隊勤務中の事故で足を負傷し、戦史研究に転じた人物です。

Mをステッキなしでは歩行できない体にした事故の要因は、海軍内に横行する理不尽な暴力でした。

Mと秋吉利雄の居酒屋談義では、Mの達観した情勢分析が展開されます。

真珠湾攻撃直前、戦争熱に浮かされる世論を尻目になぜそこまで達観していられるのか。

問いかける秋吉利雄にMはこう答えます。

いずれ歴史を書きたいのさ。だから今は軍令部臨時戦史部に身を置いている。いちばん見晴らしのいい場所だ。

『また会う日まで』428頁

太平洋戦争に立ち会ったMは、どのような歴史を書き上げるのでしょうか。

昭和20年(1945)、水路部の疎開先岡山県笠岡市で秋吉利雄が出会う歴史教師、村上先生の言葉にも注目です。

敗戦を迎えた秋吉が「歴史とは何ですか?」と問いかけるのに、村上先生はこう答えます。

歴史は過去に起こったこと、ではない。過去に起こったことの記述です。従って書く者の位置によって幾通りにも書ける。この先はいろいろな歴史の本が出ますよ。過去の失敗の整理でしょう。

『また会う日まで』635頁

池澤さんの歴史への見方が滲み出る作品です。

mezzoの視点_研究者としての海軍将校

海軍軍人・天文学者・キリスト者。

mezzoが気になったのは海軍軍人と天文学者の組み合わせです。

秋吉利雄は初め海軍士官を目指しており、艦隊勤務を経て研究を志します。

東京帝国大学理学部で学び、のち京都帝国大学で博士号を取得、できたばかりの日本学術振興会にも加わります。

これらの立場は彼が海軍に所属し、海軍の職務のために研究に従事するから得られたものです。

いわば、「研究者としての海軍将校」と呼ぶことができます。

秋吉利雄の水路部・測量学・天文学への強い想いは本書の魅力の一つでしょう。

水路部は、単に水路部と名乗る。

他の日本海軍の組織と異なり、「海軍水路部」ではなく単に「水路部」と名乗る、というのです。

GPSの存在しない時代、海軍の艦船が自船の位置を知るには、天体の角度から割り出す必要がありました。

水路部の職務は天体を観測し、未来の天体の位置を予測した数値をまとめた暦『天測暦』『航海暦』を作り、継続刊行することです。測量を行い海図を作成することも職務です。

水路部の成果は日本海軍の艦船だけのものではありません。

一般の商船や外国の船の役に立つもの、それも未来に備えた仕事です。

普遍性。

職務の普遍性への秋吉利雄の誇りは、本書の各所で感じ取ることができます。

昭和19年(1944)、水路部の最初の疎開先だった立教高等女学校(現立教女学院中学校・高等学校)の生徒たちに、秋吉利雄らは水路部の計算作業を手伝ってもらうことになります。

生徒を前に水路部の仕事について、平易な言葉で情熱を持って語る秋吉利雄、かっこよかったです。

自分の専門領域の意義をこんなふうに語れるようになりたいものです。

ただそんな秋吉利雄を戦後待っていた公職追放は、読んでいてつらかったです。

海軍が消滅し軍人の身分を失った上、彼のもう一つの顔であった「天文学者」としての命脈が絶たれるわけですから。

秋吉利雄が従事した学問は普遍的なものだったかもしれませんが、学者としての彼の社会的立場は、こんなにも社会情勢に左右される、普遍とはかけ離れたものだったのです。

秋吉利雄の著書_航海天文学の研究

普遍に連なる仕事を目指した秋吉利雄の成果は、死後水路部の同僚の手で論文集として刊行されています。

秋吉利雄『航海天文学の研究』(恒星堂厚生閣 1952年)です。

本書の中で、長女の洋子がそのくだりを語っていますね。

この本、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。

メゾさん
メゾさん

実際の秋吉利雄はどんな人だったのかな。

冒頭の編者の言葉では、水路部の後輩鈴木敬信が秋吉利雄をこう述懐しています。

秋吉博士は兵学校を出たけれども、生粋の武人というよりは、おだやかな学者であった。終生を水路部にあつて、日本における航法の発達に、骨身を惜まず献身された。

秋吉利雄『航海天文学の研究』(恒星堂厚生閣 1952年)1頁

おだやかな学者肌。

本書を通じて持った秋吉利雄のイメージと重ねられ、何だかほっとしました。

おわりに_池澤夏樹『また会う日まで』

『また会う日まで』は海軍軍人・天文学者・キリスト者の3つの顔をもつ秋吉利雄の生涯を、大正・昭和・太平洋戦争を背景に描き切る歴史小説です。

メゾさん
メゾさん

資料調査が行き届いているので、読み応えのある歴史小説になっています。

本記事を読んで、池澤夏樹さんの『また会う日まで』が面白そうだと思った方、ぜひ手にとってみてください。

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