【本の紹介】瀧浪貞子『光明皇后』_奈良時代のある母と一人娘の物語

読書

3月といえば奈良東大寺のお水取りですね。

東大寺にちなんで、最近読んだ本をご紹介させてください。

瀧浪貞子『光明皇后』(中公新書 2017年)です。

瀧浪貞子『光明皇后』はこんな本

光明皇后(藤原光明子)といえば、東大寺の大仏を作った聖武天皇の皇后としてあまりにも有名な女性です。

臣下で初めて皇后に立ったり、聖武譲位後には政界の重鎮として君臨するなど、光明子、強い女としてのイメージがあるかと思います。

本書はその光明子を主役にした歴史書ですが、特に家族との死別に注目するところが特徴的です。

確かに、唯一の息子だった基王に夭折され、その菩提を弔うために建立された寺院がのちの東大寺に発展していきます。

夫聖武との死別は、彼の形見の品を東大寺へ献納させます。

正倉院宝物のルーツです。

そう考えると、肉親の死別をテーマに光明子を読み解くのは理にかなっているように思います。

一周読み終わって、確かに光明子は強い人間だけれど、いろいろあったんだな、という感想が浮かんできました。

光明子がやや等身大の人間に近づいてきました。

著者_瀧浪貞子さんについて

著者の瀧浪貞子さんは日本古代史の研究者ですが、女性をテーマにした著作を出されています。

著作についてのインタビューもネットで見ます。

今回の光明皇后についての記事は以下の通り。

『光明皇后』/瀧浪貞子インタビュー
秋の風物詩「正倉院展」が、今年も奈良国立博物館で開かれています。聖武天皇ゆかりの…

mezzoもこの記事を見て、本も読んでみようと思い立ったのでした。

こんな人におすすめ

ジャンル歴史書、日本史、古代史、奈良時代
対象者中学生、高校生以上、一般
テーマ政治史、聖武天皇、藤原氏、仏教、女性史、家族
こんな人におすすめ奈良時代の政治史が知りたい
奈良時代の女性の生き方ってどんなものか知りたい
光明子が臣下初の皇后となったのはなぜ問題なの?
特徴史料の引用と解説が丁寧。
無理なく史料から歴史を考えられます。

対象者はmezzoの主観で書きました。

メゾさん
メゾさん

歴史書って難しそう。。

小説よりもハードル高いのかなあ。

と思っている方の参考になれば幸いです。

(感想など)光明子が人臣初の皇后になった意味

光明子についての著作を読んでみて、光明子が人臣初の皇后になったことの意味を久々に考えさせられました。

光明子の立后は天皇の正妻である皇后になれるのは皇族女性のみ、という古代の慣例破りだったわけです。

藤原氏による強引な権力掌握の過程で、当時の政府首班だった長屋王は自殺に追い込まれていきますね。

いわゆる長屋王の変(729)です。

光明子立后の理由は、未来の次男の即位に備えて!?

長屋王の変の直前に聖武・光明子夫妻は待望の男子基王を亡くしています。

次の天皇の有力候補だった基王が死んだばかりなのに、なぜ光明子の地位が上がるのだろうか?

メゾさん
メゾさん

やっぱり藤原氏は貴族の中でも別格なんでしょう?

光明子が皇后になれるのは必然では?

と思わんでもありませんでした。

しかし今回、聖武のもう一人の息子安積親王が生まれたのは基王死去と近い時期だったと知りました。

安積親王の母は県犬養広刀自という女性で、光明子ではありません。

基王亡きあと、聖武の次の天皇は成長した安積親王と考えるのが自然でしょう。

藤原氏の血をひかない安積親王の即位が実現したら、光明子や実家の藤原氏にとってはピンチです。

しかし基王死去(728)当時の光明子は、数え28歳でした。

もう一人、男の子を産む可能性があるかもしれません。

もし将来、光明子が聖武との間に再び男子を産んだとします。

光明子の次男がお兄さんである安積親王を飛ばして天皇になるには、どんな理由が必要でしょうか。

母親である光明子の地位が上がることではないでしょうか。

このような事情で、光明子は安積親王即位を阻止するために皇后に立てられた、というわけです。

歴史に「もしも」は禁物といいますが、基王死去・安積親王誕生のニュースを聞いて切羽詰まった当時の藤原氏は仮定に仮定を重ねて布石を打っていたようです。

一人娘阿倍内親王の人生_女性天皇

それにつけても、光明子の一人娘だった阿倍内親王の人生も気になるところです。

後世の我々の知る通り、結局光明子が次男を産むことはありませんでした。

安積親王も早世したため、聖武の後継者探しは難航を極めます。

阿倍内親王は史上唯一の女性皇太子を経て、女帝孝謙天皇として即位します。

でも、生涯未婚で子のいない彼女は中継ぎの天皇で、中途半端な立場ですね。

しかも、もし光明子に次男が生まれていれば、その子が天皇になっていた。

どうしても次男が生まれなかったものでやむを得ず立太子・即位の運びとなった。

そう両親からも、周りからも見られていたとしたら?

光明子の天皇家内での存在感も相当大きいですしね。

天皇の死去で巻を変える習わしの『続日本紀』が、光明子の死で巻を変える位です。

天皇にこそならなかった光明子ですが、橘奈良麻呂の変で説得を試みるなど政界に欠かせない調整役でした。

阿倍内親王/孝謙天皇の人生の閉塞感に思いを馳せるmezzoでした。

聖武とその家族について、まだまだ目が離せません。

関連お出かけスポット_訪問記情報

本書に関連するお出かけなら、やっぱり奈良がおすすめです。

mezzoのブログで公開した訪問記事、ご紹介させていただきます。

毎年秋の奈良博でやっている正倉院展。

正倉院宝物は光明子が献納した聖武の遺品ですので、まさに光明子に会いに行くことができます。

毎年秋に奈良文化財研究所平城宮跡資料館でリンク開催の、地下の正倉院展も穴場感満載。

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