累計460万部、日本一読まれている自己啓発小説の最新刊「夢をかなえるゾウ0(ゼロ)ガネーシャと夢を食べるバク」のご紹介です。
読み返すたびに笑って、泣いて、そしてこれから頑張る気力をくれる本です。
夢をかなえるゾウ0はこんな本
夢を持て。
目的を持て。
学校はもとより就活中にも、必死で内定を取った会社で働き始めてからも、耳にタコができるくらいよく聞くフレーズです。
もううんざりだ😭
持てと言われて持った夢なんか、自分の本当の夢じゃないよ👊
でもそう言われている以上、夢を持たないと学校の内申や会社の人事査定が下がるのでしょうか。
ますますうんざりです。
学校でも会社でも、せっかく夢を持っても夢まっしぐらに行動するわけにはいきません。
自分の夢に向かって仕事を頑張った途端に、
おい、自分の夢だけで仕事してるんじゃねえよ。
お前は会社に雇われている身だぞ👊
てな感じで。
でも、夢のない自分を見て、このままでは良くないと感じる自分がいる。
人間には本当のところ、夢は必要なのでしょうか。
夢を持つには、結局具体的にどうすればいいのでしょうか。
夢や目標を説く自己啓発本は数あれど、本書「夢をかなえるゾウ0(ゼロ) ガネーシャと夢を食べるバク」は根本の問題に笑いと涙で向き合った稀有な本です。
こんな人におすすめ
ジャンル | 自己啓発、哲学、生き方 |
キーワード | 夢、天職、自信、仕事、親子関係 |
こんな人におすすめ | ・本当の夢を見つけたい。 ・自分に自信を持ちたい。 ・自分の天職を探してみたい。 ・会社辞めたい。でも今後どうすればいいか不安。 |
夢をかなえるゾウ0_内容紹介
主人公は、きわめて平凡な会社員の青年。
一度もレールから外れたことのないまま、いい学校を出て、いい会社に入る人生を送っています。
親や社会の物差しで人生を決めてきた自分の生き方が腑におちず、かといって自分を貫く一歩を踏み出せない。
心の迷いを見透かされたのか、新しい上司からパワハラの標的にされてしまう。
そんな彼の許に現れたのが、ゾウの頭と人の体を持つインドの神ガネーシャ。
これまで数多くの偉人の夢をかなえる手助けをしてきたガネーシャは、そもそも夢がないという主人公に戸惑いながらも、本当の夢を見つける同伴者となっていく。
えっ!? 自分、「夢」がないやて?
ほな「夢の見つけ方」教えたろか。
『夢をかなえるゾウ0』より
物語は、自分こと主人公の青年とガネーシャ、それからガネーシャの相棒の夢を食べる霊獣バクちゃんとの奇妙な共同生活が舞台です。
関西弁でギャグ連発、常軌を逸した大食漢ガネーシャにテンポよく引き込まれながら、自分と我々読者は本当の夢を見つけるステップを辿っていきます。
ガネーシャ式で、夢を見つけるノウハウを公開
本当の夢を見つけるステップ、ガネーシャ式としてまとめられています。
ポイントは、いきなり自己分析に入らないところです。
進路選択のたびに、やれ自分の棚卸しをせよとか、自己分析をせよとよく言われます。
でも、自分の過去や内面に向き合う作業は結構精神的にヘビーです。
古傷を抉られるように感じることもあるでしょう。
自信を失い、一歩も動けなくなるかもしれません。
ガネーシャ式では最初のステップに、簡単な行動を置いています。
最初が「日の出を見る」、次が「嫌なことを断る」といった感じです。
簡単な行動を積み重ねるところから始めるガネーシャ式なら、自分の棚卸しに膨大な力を注いだ割には心身ともに疲れて行動に結びつけられない、という悪循環から抜け出せるでしょう。
夢って絶対に必要なの?
ガネーシャ式で本当の夢を探す方法はわかったとして、そもそも本当の夢は必要なのでしょうか。
ガネーシャの意見は、主人公(自分)の意表を突くものでした。
必要だとはいっていない。
でも夢には、ものごとの意味をまるっきり変える力がある。
ガネーシャの力で夢を持つことの魅力を知った自分。
舞い上がる主人公に、ガネーシャの相棒のバクちゃんが釘を刺します。
本当に夢持ちになっていいのか?
夢を「持つ」のと「かなえる」のとは別の話。
素晴らしい存在を知ったところで、それが絶対に手に入らないものだとわかったら、むしろ『知らない方が良かった』って後悔するんじゃねえのか?」
絶対に叶わない夢だとわかっても、それでも夢の力を信じるのか。
問いの答えとしては、こんな感じでしょうか。
無理に夢を持つ必要はない。
しかし夢の持つ力は、人生そのものを大いに変える可能性を持っている。
mezzoと夢をかなえるゾウ0_それでも夢を持ってよかったのか?
本作、主人公(自分)に共感できる人は多いと思います。
レールから外れないように生きてきた、特段取り柄のない会社員。
ところがmezzoは、むしろガネーシャに共感しました。
意外でしたか?なぜでしょうか?
どんでん返し
ストーリーの軸は、ヒンドゥーの神ガネーシャが、平凡な主人公が本当の夢を見つけられるようコーチングをすることです。
ほら、ドラえもんがのび太くんのコーチ役であるのと同じように。
ところが本作、途中でガネーシャと主人公の役割が入れ替わってしまうのです。
実は神ガネーシャは、実の父と親子関係の深い悩みを抱え続けてきたのです。
ガネーシャと父シヴァ神との確執は、ヒンドゥー神話の通りです。
ガネーシャって、どうして頭だけがゾウなの?
その辺に関わる、悲しい経緯があったのです。
ガネーシャの抱える問題、父子間の確執がいかに普遍的な話題なのか突きつけられます。
あれれ?ドラえもんだと思って読み始めたのに。
途中からエデンの東とか、エヴァンゲリオンみたいな話に置き換わってきたぞ。。。
果たして自分は、ガネーシャに助けられるだけの役割を脱することができるのでしょうか。
救う人は、救われる人
ガネーシャが深刻な悩みに苦しみながらも、人助けに邁進し続けた理由はなんだったのでしょうか。
ガネーシャの言葉を引用します。
本当の夢ちゅうのはな、自分と同じ痛みを持つ他人を救うことで、自分を救うことなんやで。
『夢をかなえるゾウ0』より
自分自身のために頑張ることーエゴが大きな力を生み出すんや。
(中略)
でも、自分と同じような境遇の他者を救いたい、他者を救うことを通して自分を救いたいちゅう、自分と他者の境界線がなくなったとき、ーできることの範囲も無限になるんや。
『夢をかなえるゾウ0』より
ガネーシャの言葉を追いながら、mezzoもふと、我が身を振り返ったのです。
mezzo、現職は会社員ですが、しばらく中高の教員を目指していたことがありました。
理由は、日本史の授業をライブで実施することの面白さに取り憑かれたから。
自分の頭で練りに練った授業を作り、生身の生徒さんとライブのやりとりをして一緒に考え抜くことが、たまらなく面白かったのです。
日本史の授業者の枠をこえ、この人たちの人生の一部に立ち会えることにやりがいを感じていました。
30歳近くになって教職に出会ったとき、これは天職かも!とピンときたものでした。
(天職、詳しいことは本書の中でガネーシャが教えてくれます。)
天職(直感)に出会ったmezzoには、かつてないほどのエネルギーが湧いてきました。
朝が大の苦手だったのに、仕事の日は5時起きしても苦にならない。
授業の内容を詰めるためにどれだけ図書館にこもっても平気。
でも、非常勤講師だけでは、生活に必要な収入を確保することはできませんでした。
正規採用を目指してずっと就活を続けていたのですが、なかなかご縁に恵まれません。
コロナ禍に見舞われたこともあり、収入確保を優先させる決断をし、教職を辞めて今の会社に就職したのでした。
収入確保を優先した自分の判断には納得していますが、業種的には日本史や学校からは離れた仕事をすることになりました。
そして最近、ふとこんなことを考えて、本書を手に取ったわけです。
自分、今、夢を持ち続けているかな。
結局教職から離れたなら、夢って必要だったのかな。
読み返すたびに笑って、泣いて、勇気づけられた結果、こんなふうに思いました。
非常勤時代があんなにも楽しかったのは、生徒さんに関わることで、自分が救われていたからなんだ。
それが楽しいものにせよ、厳しいものにせよ。
一度きりの自分の人生では知る由もなかった、他の人生に立ち会うことができるから。
今は当初思い描いた形では夢が叶っていないけれど、別の形であってもいつか結実する気がする。
日本史を通じて人と関わること、本当に楽しい。
そう、今でも思っています。
まとめ
本記事では書籍「夢をかなえるゾウ0」のご紹介をしました。
笑いあり、涙ありでぐいぐい引き込まれるストーリー展開で、本当の夢を見つけるために無理なく歩みを進めていける作品です。
読みながら、自分と重ね合わせて学びを深めることができるでしょう。
mezzoは本書がシリーズで初めて読んだ作品でした。
折を見て、他も読んでみようと思っています。
コメント